テル ミー ライズ
私事で恐縮だが、夜中に家を抜け出してオールナイト映画館に通い始めたのが中学2年のときだった。補導の目をかいくぐる冒険で、そこで出合ったのが「マラー/サド」の通称で有名なピーター・ブルックの前衛演劇の映画化作品である。
中2ではちんぷんかんぷん以前の難物だが、おかげで耐性(?)がついて映画なら何でもござれになった。そんな思い出深いブルックの、なんと半世紀前にカンヌ映画祭で上映取り下げ処分をくらった伝説の映画が今週末封切られる。それが「テル ミー ライズ」である。
直訳すれば「俺にウソをついてくれ」とはフェイクニュースばやりの現代をからかってるような題名だが、実はベトナム反戦運動の最盛期に一石を投じたいわくつきの作品なのだ。
当時、既に英演劇界の雄だったブルックは街頭デモから議員たちのパーティーにまで「取材」と称してカメラを持ちこみ、ロイヤルシェークスピア劇場の若い俳優たちに議論を吹っかけさせてドラマともドキュメンタリーとも区分けできない野心作にまとめ上げた。しかもこれが、いま見ると思わず手を打つ快作。「スウィンギングロンドン」と呼ばれたこの時期の都会風俗と音楽センス、的確なカット割り、そして空疎に陥らないセリフと演出。当時、欧州の若い文化人たちはこぞって毛沢東語録を手に“紅衛兵かぶれ”を起こしており、ブルックも例外ではないのだが、そんな見てくれ以上に戦争の暴虐とゲリラ対正規軍のような戦争形態が異なる“非対称戦争”のさまや、権力と民衆の格差に迫る覚悟がみなぎっているのが伝わる。その真剣な手触りが、現代のあまりにバカげた政治状況をも撃つ力になると予感させるのである。
この感覚は肌合いこそ違え「自立した民衆」の立場でベトナム反戦を唱えた故・吉沢南氏に通じる。幸い復刊された「同時代史としてのベトナム戦争」(有志舎 2600円)を挙げておきたい。
<生井英考>