第1話 じゃりン子チエは神 <21>
いじめを見て見ぬふりに傷ついたのは千春
「理由は分からないけど、足が悪い転校生がいじめられていることを言えなかったって、それでおとうさんが納得すると思うのか」
きつい声で叱ると、三男は立ち上がった。
「もういい。お父さんは中学校に行って井波先生に会ってくる」
三男はマンションの駐輪場で自転車にまたがった。中学校までは歩いても5分なので瞬く間に到着した。
日が暮れかけた校庭では、野球部やサッカー部が練習をしていた。体育館からもバスケ部やバレー部の掛け声が聞こえてくる。
職員室で尋ねると、井波先生は2年4組の教室だろうと言われた。
「まあ、わざわざ」
今年度限りで定年となる国語教師は笑顔で迎えてくれた。井波先生は体操ニッポンの黄金時代をテレビで見て育ち、三男の現役時代も知っているという。昨年秋の二者面談の時に「大ファンでした」と打ち明けられて、三男は大いに照れた。
千春の話を冷静に聞く自信がないので伺ったと言うと、井波先生が事の次第を話してくれた。
柳君は学力の高い、明るい子で、井波先生はてっきりクラスにとけ込んでいると思っていた。ところが、先生がいない時には、柳君を手助けしようとする生徒に対して、「いい子ぶってんじゃねえ」といった心無い言葉が向けられた。柳君にも「転校してくんじゃねえよ」と複数の男子が度々言い、他の生徒たちは見て見ぬふりをしていたという。
「この件で、一番傷ついたのは千春さんだと思います。ようやくお姉さんの件から立ち直って、親切心で行動したのに」
「そうでしたか」と答えて、三男は心の中で千春に謝った。同時に、あれだけ娘と一緒にいながら、肝心なことに気づけない自分が情けなかった。
柳君に対するいじめが発覚したのは今週の月曜日で、隣の2年3組での国語の授業中に、女子生徒がこっそり教えてくれた。驚いた井波先生はすぐに管理職に伝えたうえで、2年4組で話し合いを持った。いじめがあったことは事実で、クラス全員が反省し、柳君も謝罪を受け入れた。懇談会で取り上げるのは、柳君の両親の希望だという。
「縁のなかった場所に引っ越してきたので、これを機に皆さんとお近づきになりたいそうですが、うまくいくかどうか……」
井波先生の不安は三男にもよく分かった。いじめが収まったといっても、今後はどうなるかわからない。できれば静かに様子を見守りたいが、そうかといって柳君の両親の申し出は断れない。
「私に考えがあるのですが」
三男は咄嗟に思いついた計画を話した。
「そうしていただけるなら、本当に助かります」
井波先生は賛同してくれた。ただし2年4組の生徒たちも懇談会に参加させるには校長の許可が要ると言われて、三男は井波先生と共に校長室に向かった。
家に戻った三男は千春に謝った。
「ウチもな、チエちゃんみたいに下駄を振り回せたらよかったんやけど、できんかった」
千春が涙まじりの大阪弁で言って、三男は柳君はどんな子なのかを聞いた。
「身長は165センチくらいやな。やせっぽちで、髪はサラサラ。理数系と英語がよくできる。あと、碁が強いんやて。正式には囲碁っていうらしいけど、ウチが知ってるのは五目並べだけや」
千春はうれしそうに話して、三男までうれしくなった。
「もう7時だ。さあ、夕飯にしよう」
一声発すると、三男はエプロンをして、中華鍋で豚のひき肉を炒めだした。 (つづく)