「最後の頭取」河谷禎昌著/ダイヤモンド社
いま、私は74歳である。この年から河谷は収監されて、1年7カ月服役した。現在84歳。北海道拓殖銀行という大手銀行のトップで収監されたのは河谷だけだったが、その告白を読んで、気の毒だなと思いつつも、やはり河谷は“平時の人”だったんだな、と断定せざるを得なかった。
この中に少しだけその名が出てくる北洋銀行頭取(当時)の武井正直と比較すると、それはよくわかる。
北海道拓殖銀行こと北拓のつまずきのひとつの原因となったソフィアグループには最初、北洋銀行が融資していた。しかし、トップの中村揚一がバブルに乗って身の丈以上に拡大しようとしたために、北洋(武井)は「待った」をかける。それを不服として中村は銀行を北拓に乗りかえた。
ソフィアへの追加融資について河谷は、「すでに10万人という兵隊を戦場に送ってしまっている。黙っていると、全滅する。だから、何とか10万の兵の一部でも助けるため、1万人の援軍を送った。つまり、追加融資は先に送った兵隊の何割かを救うための兵站だった。こうしたことはどの銀行もやっています。もしこれで戦死者が出たから罪だというのであれば、日本中の銀行員が罪人になる」と言っている。
しかし、「どの銀行も」と河谷は言うが、少なくとも北洋銀行はやっていなかった。武井が「バブルに乗っかった融資はやるな」と口を酸っぱくして言っていたからである。
当時、バブルを煽った長谷川慶太郎は「財テクをしない経営者は化石人間だ」などと言っていたが、武井は「こんなバカな時代が続くはずがない」として、長谷川や竹中平蔵らをまったく相手にしていなかった。そして、「隣のやることはやらない」と言い切る稀有な経営者だった。私が日本の経営者に絶望しないですんだのは武井がいたからである。
また、河谷は破綻の“A級戦犯”として、元副頭取の佐藤安彦以下5人を挙げている。しかし、私が元凶と考える元会長の鈴木茂をA級戦犯からはずし、彼は破綻の「遠因」をつくったにすぎないとしているのは納得できない。時効の壁に阻まれたが、河谷ではなく鈴木こそが収監されるべきだった。
武井の名言に「バカな大将、敵より怖い」がある。ワンマンの鈴木によって北拓の先送り体質が形成された。バカな大将の筆頭が鈴木だと河谷はなぜ認識できないのか。
★★半(選者・佐高信)