「ぼくの伯父さん 長谷川四郎物語」福島紀幸著
本を読むことが日常の一部になってから久しいが、まだ本読みの初心者だった頃に目にした言葉がいまだに自分の指標となっている。「仮りの世に家は借りてぞ住むべかり/本は買うてぞ読むべかりける」。長谷川四郎の「知恵の悲しみ」のあとがきに書かれていたものだ。その当時から「長谷川四郎」という名前は特別な輝きを放っていた。その四郎さんが亡くなって30年にして書かれた初の本格的評伝が本書だ。
著者は雑誌「新日本文学」編集部に在籍していた頃から長谷川と親交があり、「長谷川四郎全集」(全16巻)では、編集を担当するとともに各巻に「解題・略伝」を書いた。550ページを超す大部だが、ストイックなまでに余計な言葉は挟まず、長谷川が書いた文章や他の人間の長谷川評を丁寧に拾い上げながら、あくまでも客観的に長谷川の生涯をつづっていく。
父の世民は北海新聞主筆で北一輝の恩師、長兄の海太郎は林不忘・牧逸馬・谷譲次の3つのペンネームで活躍したベストセラー作家、次兄の潾二郎(りんじろう)は作家・画家、三兄の濬(しゅん)はロシア文学者という文筆家一家に生まれた四郎は、生まれながらに作家の道を歩むべく運命づけられたかのようだが、その人生を大きく変えたのは4年半に及ぶシベリアの抑留生活だった。
本書には、生まれ育った函館の町の思い出、満鉄調査部に入って中国へ渡り現地でソ連軍にとらわれたこと、シベリアから引き揚げ、翻訳で糊口をしのぎながら抑留体験をもとにした小説「シベリヤ物語」を書いたこと、「新日文」や「記録芸術の会」での奮闘ぶり、そして最晩年の病床での様子に至るまで実に事細かに書かれている。筆致は禁欲的だが、行間からは四郎さんの肉声を知る人だからこその温かいまなざしが伝わってくる。 <狸>
(河出書房新社 4400円+税)