「死者の民主主義」畑中章宏氏
民俗学者である著者は、「妖怪たちにも選挙権を」と主張する。
「河童や座敷童子といった妖怪たちは、災害や戦争などで不慮の死を遂げた人々の集合霊であり、生き残った人々の後ろめたさの感情が伝承されるなどしてできたものというのが私の仮説です。そして、世の中のあり方を決める選挙を生きている者だけで独占するのは傲慢な行いであり、妖怪たちにも選挙権を与えることこそが、古くて新しい民主主義を考える上で不可欠だと考えています」
本書には、伝説や風俗などから生活文化を解き明かす民俗学の視点から、これまで著者が発表してきたさまざまな論考やエッセーを収録。民主主義や現代日本の課題が、死者あるいは妖怪、そして最新テクノロジーや祭りなどの切り口で論じられている。
「妖怪は投票所に足を運べないし、意見表明をすることもできません。しかし、彼らがどのような政治ならば納得するかを想像することはできる。父母や祖父母、そのまた昔の祖先たちがどう感じるかと考えることは、決して現実離れしたことではありません」
社会という共同体は、今突然できたわけではない。過去からの連なりがあり、かつて生きていた人、つまり死者もまた共同体の重要な構成員だと著者。そのような国家観や社会観こそが、近頃政治家たちが盛んに口にする“草の根からの民主主義”を指すのであり、戦後の日本がやってこなかったことだと述べている。
一方で、近代化された社会では妖怪が生まれにくい、つまり死者に思いを馳せることが少なくなる傾向があるという課題にも触れられている。
例えば3・11の後、科学的な検証が行われ、被害や死者について詳細に数値化された。現代人は、データこそが問題解決や安心を導くと考えがちだが、大きな災害の時にこそ民俗学的なものを顧みることが重要になるというのが著者の思いだ。
「古来、日本人はやり場のない悲しみや後悔の念を民俗学の視点で見つめ直し、現実の世界とは別に妖怪たちの住む世界があると考えるなど、死者や先祖の魂と密接に関わることで思いを昇華してきました。しかし、数値化が先行すると逆にリアリティーが感じられにくくなり、現象を受け止め切れずに妖怪も生まれにくくなる。精神的な復興が果たされにくいのです」
とはいえ、日本人は本来民俗学的視点を持っており、実は現代もそれは失われてはいないと著者。その例として本書が挙げているのが、ゾンビやオバケに扮してお祭り騒ぎをするハロウィーンや、3Dアバターを活用する「バーチャル・ユーチューバー(VTuber)」という意外なものだ。
「VTuberのぎこちない動きを見ると、古くから日本人に親しまれてきた人形浄瑠璃を思い出します。人形が袖を濡らして悲しむしぐさは、生身の人間の演技以上に日本人の心に訴えかける。VTuberは、けなげで懐かしい民俗技術の現在形です」
ハロウィーンもしかり。日本には古くから“変身”を“めでたい”とする感覚があった。民俗芸能でも、亡魂を祭り荒ぶる霊を鎮めるための呪術的行為として、異形異相の扮装を見ることができる。VTuberやハロウィーンの流行は、日本人に民俗学的視点が失われていないことの表れだと著者は分析している。
本書の後半では、クマや水神、初詣などを題材に、“人ならざるもの”と日本人の接点を論考。お盆のこの時季、死者から見た今の時代を考えるきっかけにもなるだろう。
(トランスビュー 2100円+税)
▽はたなか・あきひろ 1962年、大阪府生まれ。作家、民俗学者。平凡社で「月刊太陽」や「荒木経惟写真全集」などの編集を手がけ、その後フリーランスに。著書に「柳田国男と今和次郎」「災害と妖怪」「ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか」「天災と日本人」「21世紀の民俗学」などがある。