「海峡に立つ 泥と血の我が半生」許永中著
「闇社会の帝王」「戦後最大のフィクサー」などの異名をとる許永中。その名はイトマン事件、石橋産業事件などの経済事件がらみで取り上げられることが多い。許永中は何を思い、どう生きてきたのか。自分の言葉で語った初の自叙伝。
最初のページは大阪・天神祭の苦い回想から始まる。この日、若き許永中は、振る舞い酒に酔った勢いに任せて、安治川の橋の欄干から、はるか下の川に飛び込んだ。そこはひどい悪臭と膨大なゴミと重油混じりの汚泥にまみれたドブ川だった。
許は1947年、在日2世として大阪・中津に生まれ、スラムの長屋で育ち、発熱する体を持て余すようにケンカに明け暮れていた。やがてドブ川から這い出て大海に泳ぎ出し、海峡を渡ることになる。
父は漢方薬局を営み、母はドブロクをつくって親子7人の暮らしを支えていた。極貧の中、大学の学費を工面してもらったにもかかわらず、3年で中退。体も態度もでかく、誰に対しても物おじしない許を見込む人物も現れ、暴力団幹部、実業家、政治家と、人脈が広がっていく。極道と在日韓国人2世実業家。2つの顔を併せ持ち、裏社会と表社会が重なり合う場所で存在感を高めていった。
「大阪は在日の首都」と考えていた許は、1986年、大阪と釜山を結ぶ大阪国際フェリーを就航させる。日韓の懸け橋たらんとする思いの具現化だった。しかしその後、思わぬ事態が待ち受けていた。イトマン事件では特別背任、石橋産業事件では手形詐欺容疑で逮捕、服役。しかし、いずれの事件も本人は無罪を断言する。「罪状、捜査、裁判。全てが巨大な権力で歪められた悪夢であった」。服役中は、怒りで荒れ狂う心を読経と写経で鎮めたという。
現在はソウルで介護や医療、都市開発などの事業を手掛けている。悪化する日韓関係を複雑な思いで見つめながら、上皇の訪韓を願い、2つの祖国の安寧のためにできることをしたいと語っている。
(小学館 1600円+税)