「柳田国男 感じたるまゝ」鶴見太郎著
日本の民俗学を創始した柳田国男。「遠野物語」をはじめとする著作は、今も重版され、読み継がれている。柳田は、民間伝承を足掛かりに無数の生活者の記憶や経験を採集し、堆積させるという、近代科学とは異なる手法で日本人の歴史を記し、民俗学の礎を築いた。その足跡を丹念に追い、「柳田の民俗学とは何か」を考察した渾身の評伝。
柳田国男は明治8年、兵庫県生まれ。男ばかりの8人兄弟の六男で、父は儒者、医学者。暮らし向きは楽ではなかったが兄たちの援助によって進学。知人の蔵書を乱読し、青年詩人として作品を発表するようになる。しかし、文学の道には進まず東京帝国大学法科大学で農政学を学び、卒業後は農商務省に入った。
実務官僚として地方の現状を見て歩く一方、文学活動も続け、田山花袋、島崎藤村らと交流を持った。てんぐやカッパ、ザシキワラシが登場する「遠野物語」は官僚時代に岩手県遠野地方の伝承を聞き書きした民話集で、文学作品としての評価も高い。39歳で貴族院書記官長に就任。能吏と評価を受けながら研究を続けた。
44歳で辞任後、朝日新聞の客員記者として全国津々浦々を旅する好機を得た。佐渡、東北、西日本、沖縄、離島。自分の足で歩き、その地に生きる人びとの話に耳を傾け、各地の習俗を旅情豊かにつづった。柳田の仕事は、政治と学問と文学が、未分化のまま重なり合う場所で生まれたものだった。
還暦の年に「民間伝承の会」を創設。柳田個人の研究は組織的な広がりを見せ、民俗学はアマチュアリズムを脱皮して、学問領域として認知されていく。戦中戦後も柳田は精力的に仕事を続け、昭和37年、高度経済成長の最中に88歳で他界。柳田の民俗学は、産業資本の浸透、農村から都市への人口流出などの社会変動によって失われつつあった民俗事象や生活の中から生まれた思想を記録する貴重な仕事となり、日本人の大きな財産として残った。
(ミネルヴァ書房 2800円+税)