「東京夜行」マテウシュ・ウルバノヴィチ著
東京各所の味のある店舗を精緻なイラストで描いた「東京店構え」で人気のポーランド人イラストレーターの新たな作品集。今回のテーマは、夜の東京だ。
東京に住み始めたばかりの頃、不安を抱えながら毎夜のように散歩していると、街の喧騒が心を落ち着かせ、「瞑想に近い何か」を与えられたという。妻と出会い、街の見方も変わったが、その後も続いた夜の散歩の積み重ねから生まれた作品を収める。
「ターニングポイント」と題された冒頭の作品は、千代田区内神田の大きなT字路の交差点から大手町のビルを見上げた風景。目の前のビルの1階は店舗のようでガラスを通して温かな光が歩道にまでこぼれている。対照的にその上階は無人なのか、窓ガラスが逢魔が時の空に残った青を映し出す。道路標識の大きな白い矢印も、街中のさまざまな光を反映し複雑なグラデーションをつくり出している。
同じ内神田の通りから通りへと抜けるショートカットからの風景を描いた「鏡」という作品は、画面の右側3分の1ほどに闇に沈むビルの裏側の非常階段が描かれ、路地を挟んだ反対側には鏡のようにつややかな壁を持つビルが描かれる。
レストランの看板や大通りのビルの風景をまるで水面のように映し出すその壁の質感まで伝える描写に感嘆。ここでも暗い非常階段とは対照的に、鏡のビルの非常階段には踊り場ごとに柔らかな明かりがともっている。
ひとつひとつの作品が、まるで現代の陰翳礼讃のように、その暗がりの奥行きと深さ、見えないモノたちまで読者に感じさせる。かつて、新海誠監督の「君の名は。」など多くのアニメ作品で背景美術を担当してきた著者だが、今作では独特の水彩技法で自らの世界を構築する。
こうした大都市の一角を切り取った「都会」編に続いて、丸の内の2つのオフィスビルをつなぐグランルーフデッキから見えた東京駅の新幹線ホームと整然としながらも混とんとしたその送電線のジャングル、そしてビル群とで作り出す近未来的な風景「オデッセイ」などを収録した「奇妙な場所」編、隅田川の霊巌島に架かる南高橋を描いた「儚くて永遠なもの」や上野駅を見下ろす両大師橋から無人のホームに止まる回送電車を描いた「線路の終点」など「橋と電車」編、そして「雨の東京」編とテーマごとに作品が並ぶ。
おじさんたちの心を捉えるのは「路地裏」編ではなかろうか。台東区谷中の「初音小路」を描いた「孤独な夜」や、同じ谷中で赤いひさしと古びた看板の美容室がある「深く不思議な雰囲気を宿した」名もなき路地に魅せられ何度も通い描いた「ふたつの頭」(表紙)など、どこか東京の持つ寂しさが伝わってくる。
1400万人もの人々が暮らす東京。しかし、作品に人間は1人も描かれておらず、街のざわめきも、喧騒も画面からは聞こえてこない。ただ、静かにそこに流れる時間だけが刻まれているような感覚を覚える。東京のイメージとはあまりにもかけ離れたその静かさが心にしみる。
(エムディエヌコーポレーション 2300円+税)