坂爪真吾(一般社団法人ホワイトハンズ代表理事)
3月×日 2020年1月10日、下北沢で作家の雨宮処凛さんと拙著「性風俗シングルマザー」(集英社 880円+税)の出版記念トークイベントを行った。
トークの中で、1990年代のサブカルチャーの話題になった。雨宮さんは、90年代末に「ミニスカ右翼」としてサブカル界の寵児になった存在である。
1981年生まれの私は、思春期に90年代末の音楽・マンガ・アニメなどのサブカルにどっぷり浸かって育った。浪人中に地元のヴィレッジ・ヴァンガードで雨宮さんのデビュー作「生き地獄天国」(太田出版 1300円+税)を読み、衝撃を受けた記憶がある。
そんな90年代サブカルに対して、雨宮さんが「今だったら、全て#MeToo案件だと思う」と述べておられたのが印象的だった。当時の性表現や作品については、現在であれば社会的にも法的にもアウトになるようなものもたくさんある。
一方で、90年代サブカルという原体験によって思考の枠組みを形成されてしまった人間としては、当時の文化を全て「政治的に正しくないから」という理由で全否定してしまってもいいのか、という葛藤もある。
そんな90年代末の空気感を、独特の文体と膨大な脚注によって2020年に蘇らせた1冊が、1983年生まれの鈴木涼美さんのコラム集「可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい」(東京ニュース通信社 1600円+税)である。
90年代に対するオマージュとパロディに満ちた本書は、私を含め、90年代で時計の針が止まったままアラフォーになってしまった「コギャル」や「サブカル少年」に対する鎮魂歌とも呼ぶべき1冊である。
客観的に見れば、我々は生きながら90年代の言説空間に魂を閉じ込められた、哀れな存在に見えるかもしれない。しかし、例えそれが冷静に振り返ると悶死するほど恥ずかしい時代や、政治的に全く正しくない時代であったとしても、「このまま時計の針を止めたい」と思える時間を過ごすことができたという事実は、何物にも代えがたい財産になるのではないだろうか。
時を止められるのも、悪くない。そう思わされる1冊だ。