上野千鶴子(東京大学名誉教授 社会学者)
3月×日 林真理子さんの「我らがパラダイス」の文庫が刊行された。そこにご本人から頼まれて解説を執筆した。
セレブの入居する高級老人ホームをめぐって、富裕層の入居者と下流の職員たちが悲喜こもごもにまきおこす格差社会の現実。職員の女性たちはそれぞれに親の介護と家族の事情を抱えており、自分の経済力では逆立ちしても親をそこに入れることができない。入居者は認知症が始まったら自室から出されて「介護フロア」に隔離される。そのチャンスに入居者と自分の親を入れ替えようと思いつく…ことからスラップスティックが始まる。よくもまあこんなアイディアを思いつくものだと感心するが、「ボケたら何にもわからない」と思い込む想定が怖い。
3月×日 介護小説の流れで安田依央著「ひと喰い介護」(集英社 1700円+税)を読む。タイトルから予想していたが、イヤな読後感が。「オーダーメイド介護」を旗印に、家族の縁の薄い孤立した高齢者を囲い込んでとことん食い物にするというもの。これなら考えつきそうな事業者もいるかも、と思わせる。五ツ星級のコンシェルジュに24時間かしづかれた「極楽」が、やがて監視と幽閉の「地獄」に変わる。気が付いたときにはもう遅い。「変わり果てた姿」の年寄りを救いだそうとする試みはどれも失敗に終わる。
4月×日 気になっていた長尾和宏さんの「小説『安楽死特区』」(ブックマン社 1400円+税)を入手。長尾さんは尊敬する在宅医だが、気になるのは長尾さんが「日本尊厳死協会」の会員であることだ。尊厳死協会の前身が日本安楽死協会であることは周知の事実。いったい何が書いてあるのだろう、とどきどきしながら読んだ。初小説とは思えないこなれた文体、登場人物を描き分ける筆の冴え。設定は東京五輪後の2024年、安楽死法成立にあたっての都内に設けられた特区。最後まで読むと、「あとがきにかえて」という1文に「この物語が近い将来、現実にならないことを祈っています」とある。が、このリアリティは、「生産性」のなくなった年寄りは社会のお荷物だから処分したほうがよいと、わたしたちの社会がひそかに思っていることの証だろう。