宮内勝典(作家)
4月×日 新型コロナウイルスのせいで、家にひき籠もる日々がつづいている。気が滅入って、たまらなく自然の息吹にふれたくなる。
そこで、山尾三省の「びろう葉帽子の下で」(野草社 2600円+税)をゆっくり読み返した。
山尾三省は東京神田に生まれ、大学では西洋哲学を専攻したが、中年になってから縄文杉の屋久島に移り住んで、半生を過ごし、その地に骨を埋めた詩人である。
没後20年ほど過ぎた今でも、エッセーや詩が新しく編集され、ぞくぞく刊行され、静かに版を重ねている。まったく希有な現象ではないだろうか。人々の無意識がなにに渇き、何を求めているか気づかされる。
コロナウイルスが猛威をふるっているさ中に、山尾三省の詩を読み返すのは不思議な体験だった。かれの詩には山河があり、海があり、自然と人間の濃密な繋がりが歌われている。
樹齢7000年とも言われる縄文杉を、かれは「聖老人」と呼んでいた。
世界中にウイルスが蔓延していても、春はきて、花々が咲きこぼれている。そんな当たり前のことが切なく感じられてくる読書だった。
さまざまな思想遍歴の後、かれが辿り着いたのは、アニミズムであった。アニミズムは原始宗教にすぎないと軽んじられているが、一神教へ、冷たい文明へ上昇してしまいがちな知性を逆に使って、あえてアニミズムに踏みとどまろうとする姿勢が感じられる。そこに、わたしも共感する。
コロナウイルスがいつ収束するか分からないが、経済と技術だけの社会にもどっていくのか、持続可能な世界へシフトしていくのか、わたしたちは今、試されているような気がする。
4月×日 福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書 740円+税)を再読した。「ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである」という一節に、不気味な怖ろしさを感じた。