鏑木蓮(作家)
4月×日 現在「潮WEB」に連載中の「見えない階(きざはし)」は、精神科医が探偵です。また執筆中の作品も内科医が謎を解きます。
多くの資料を求めて書店や古書店巡りをするところですが、新型コロナウイルスの感染が怖くて、泣く泣くネット書店へ。
小説家はフィクションの世界でどんな人間にもなりきらねばなりません。医学であれなんであれ専門分野の常識を疑い、そこに新しいアイデア(問い)を差し挟む余地があるかが鍵になるからです。そのせいもありウイルス関連のニュースに敏感にならざるを得ません。
テレビでは連日、専門家が様々な情報を発信していますが、「クラスター」「スーパースプレッダー」「オーバーシュート」と耳慣れない用語と、溢れる情報の海の中で視聴者が溺れている感じがします。
武井照子著「あの日を刻むマイク ラジオと歩んだ九十年」(集英社 1700円+税)は、太平洋戦争中の昭和19(1944)年9月NHKアナウンサーとなった武井さんの94歳になるまでの人生をつづったエッセーです。ラジオが文化の中心にある時代、子供向け番組にたずさわり、後にディレクターとして「お話でてこい」を世に送り出しました。
作中、多くの有名人との交流がつづられ、最も尊敬する詩人、童謡「ぞうさん」を作詩したまど・みちおさんの「皆さんのようにいろいろ調べて、ものを書くことが出来ません。自分の目で見て、感じたことを言葉にするしか、出来ないのですよ」という言葉を紹介。また谷川俊太郎氏のサトウハチロー評、「言葉に溺れておいでになります」に触れ、平易であるにも関わらず天地を感じさせるものが詩だ、と武井さんは気づきます。
以前読んだ「知ってるつもり 無知の科学」(早川書房 1900円+税)で、知らないことを知ることでしかアイデアは生まれないと感じていた私は、改めて小説は知識に溺れてはいけない、と気づかされ、専門書漁りの手を止めました。