藤原智美(作家)
6月×日 自宅で仕事をする作家は、この自粛下でも執筆に支障はない、と思われがちだが、それは違う。外食しないので自炊の手間が増え、コロナ関連の情報に一喜一憂し気持ちが乱れる。原稿は進まず、読書量も減った。
しかし、月1回の有志による読書会だけは、Zoomを使って続けた。今回のテキストはカミュの名作「ペスト」(新潮社 750円+税)になった。本棚の奥から引きだしてきた古い文庫本はページが黄ばんでいて、字も小さく読みにくい。
しかし、ペスト発生で封鎖された都市の人間模様は、コロナ禍の東京と通じるところがあって、我がことのように引きこまれてしまった。しかし、神による救済は望めず、愛する人も病で失ったとき、人が頼れるのは結局、隣人と互いに共感し合う、ささやかな心のつながりだけだという結末は、精神がひ弱な私たち現代人にとっては、ちょっと厳しい。
6月×日 野﨑まど著「タイタン」(講談社 1800円+税)は23世紀初頭を舞台としたSF小説だ。そこでは階級支配も、国家間の争いも、犯罪さえもない。人々の暮らし=生を支えるのは、タイタンと名づけられたAIで、だれも働く必要がないというユートピアが実現されている。そのタイタンが変調をきたし、鬱症状の子どもの「人格」を誕生させる。タイタンがちょっと駄々をこねただけで、世界が崩壊するかもしれないという人類の危機が物語の主題だ。よってAIの「治療」という難問に一人の心理学者が挑むのだが…。つまりこの作品は、初のAI暴走小説だ。
映画「2001年宇宙の旅」のコンピュータHALも、「ブレードランナー」のアンドロイドも、人工物が人格を持ち、人間に反乱を起こすというストーリーだった。一方のタイタンは反乱を起こすのではなく、アイデンティティーを獲得できず、その精神的自立をだれかに頼らなければならないというところがまさに今風で面白い。感染症もないクリーンで無菌的な舞台設定が現実ばなれしていて、逆に心地よかった。不思議な清涼感のある作品だ。