歌い・踊る映像で描く若者たちの人生の暗部
「行き止まりの世界に生まれて」
近頃の若い監督たちの映画には、共通して独特の映像感覚がある。流れるようにカメラが突き進んでゆく映像が、自然な息遣いとなって目と胸に迫ってくる。
バイクや自転車やスケボーで自分自身が街中を疾走しているような主体の感覚。それが映画の登場人物の主観世界を共有するための、必須の映像表現になっているのである。
そんな傾向を典型的に体現した映画が、来週末に封切りのビン・リュー監督「行き止まりの世界に生まれて」だ。
いま「物語」と書いたが、本作はドキュメンタリー。監督は今年31歳の中国系アメリカ人。幼児期からシングルマザーの母と各地を転々とし、地元の仲間とつるんでスケボーに熱中するかたわら、自分たちをビデオカメラで撮り始めた。やがて映画監督を志し、プロのカメラマンとして現場で経験を積みながら、撮りためた映像をまとめて一本のドキュメンタリーにしたのが本作である。
見ると最初は白人、黒人、アジア系の悪ガキたちのストリートビデオかと思うが、十数年にわたる膨大な映像の断片が徐々に3人の若者たちの人生の暗部を浮かび上がらせる。そのときの重みが、流麗な映像と不思議なミスマッチになって胸に迫り、いつしか引き込まれてゆく。
中国のビー・ガン監督「凱里ブルース」のスクーター映像もそうだったが、映像が「語る」というより「歌い」「踊る」のである。
「サーフィン・スケートボード・パルクール」(ナカニシヤ出版 3000円+税)の著者、ベリンダ・ウィートンはサーフィン研究から出発し、いまはニュージーランドの大学で教える社会学者。
スケボーのほか、都市密集地の屋根を飛び越え、走り抜けるパルクールなど、いわゆる「究極のスポーツ」を「ライフスタイル・スポーツ」と名づけて考察した文化研究である。 <生井英考>