メキシコの泉の光と風景の幻想的な映像
「セノーテ」
映画はやはり映画館でなくては、と思う。ネット配信全盛の現代、コロナ禍で配信もさらに増えるだろう。それでも映画館でなければいけない。理由は「色」だ。それも黒の陰翳。写真集の印刷でスミ(墨)が決め手になるように、映画館の闇でなければ黒色の肌理には出逢えない。
来週末封切りの小田香監督「セノーテ」は、そんな思いを強くさせるドキュメンタリー映画である。
メキシコ・ユカタン半島に点在する泉。石灰岩だらけのこの地方に、太古の昔、隕石が無数に落下。この陥没で生まれた大小の洞穴に地下水がたまる。そうやってできたのがセノーテ(泉)だ。
水中から水面を見上げると光と風景がゆがんで、赤や青の原色が妖精のようにはねまわる。8ミリやiPhoneカメラまで使ったという幻想的な映像が、やがて暗い洞窟内のかすかな光に変わり、水の泡のあいまに幻惑的な漆黒が現れる。聴こえるのはスペイン語のこどもたちの声、祭りの人のざわめき。それらがときに水の中で聞く外界の音のように遠くこだまする。
セノーテはメキシコの大事な観光資源にもなっているが、かつては唯一の水資源。雨乞いの儀式で少年や少女がいけにえに捧げられたという。そんな伝承が映像の合間から伝わる。
「した した した」
民俗学者で歌人の折口信夫著「死者の書」(KADOKAWA 920円+税)は、水滴の垂れるかすかな音で始まる。
その音が古代の死者を目覚めさせる。天武天皇の皇子でありながら、親友の密告で謀反の嫌疑をかけられ、自害をしいられた大津皇子だ。
「耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫と睫とが離れて来る」
奈良・当麻寺にまつわる中将姫伝承をもとにした小説。水が生と死をつなぎ、伝説が洋の東西に幻想の橋をかけるかのようだ。 <生井英考>