「くそじじいとくそばばあの日本史」大塚ひかり著
前世紀末、赤瀬川原平は物忘れが激しくなるなど一連の老化現象を「老人力」と名付けて、マイナス要因とみられていた「老い」をあえて逆転させてみせた。
本書のいう「くそじじい、くそばばあ」にもそうした逆転の発想が多分に含まれている。「弱者」と見なされがちな老人だが、歴史を振り返れば「時に小ずるく、時にしたたかに立ち回りながら、命の燃え尽きるぎりぎりまで、持てる力の限りを尽くして生きて」いた人たちがたくさんいた。本書はそんなパワーあふれる昔の老人たちの壮烈な生きざまを紹介している。
著者が日本史上「晩節を汚したくそじじい」として名指すのは豊臣秀吉。その最たるものは「朝鮮出兵」で、この暴挙に出たのはもうろくによるものといわれているが、その根底にあるのは凄まじい権力欲だ。
平安時代の藤原頼通・教通兄弟は双方80歳近くで激しい権力争いをしている。男だけではない。道長の娘の彰子は2人の天皇を産み、87歳で死ぬまで国母として権力を振るい、室町時代には107歳まで生きて権勢を振るった藤原貞子というセレブばあさんもいた。江戸時代になると、82歳で政界デビューした天海という天台宗僧の超老人も出てくる。
また「老いらくの恋」も花盛りだ。平安時代の藤原国経は80歳近くで20代の若い妻を持ち、お馴染みの一休さんは77歳で20代の森女という盲目の女性に出会い、愛欲に溺れている。52歳で初めて所帯を持った小林一茶は、28歳の妻とのセックスの模様を克明に日記に記している。40代半ばにもかかわらず20代にしか見えない美魔女の源倫子、60代で貴族の男性たちにモテモテの「小松」という下女などもいる。
近代以前の平均寿命が短い時代に、これら元気のいい爺婆は例外かと思われるが、実は乳幼児の死亡率が異常に高かったため平均値が下がるのであって、成人した人たちの寿命は現代とさほど変わらない。
老害をまき散らす政治家は噴飯物だが、それもまたくそじじい、くそばばあの伝統のなせる業なのかもしれない。 <狸>
(ポプラ社 860円+税)