吉村喜彦(作家)
12月×日 新刊「たそがれ御堂筋」(角川春樹事務所 600円+税)のキャラバンで大阪に行くことになった。新幹線のなかで何を読むか、迷うのは楽しい。今回は歌人・細胞生物学者の永田和宏さんと宗教学者・僧の釈徹宗さんの共著「コロナの時代をよむ」(NHK出版 800円+税)にした。今年9月、永田さんと釈さんがNHK「こころの時代」で対談をされたが、その内容に大幅に加筆されたものだ。
番組での対話は理路整然としつつも、しみじみ心に染みわたっていく深い内容だった。あらためて本になったものを読むと、ふたりの言葉が音楽のようによみがえってくる。大阪に向かいながら、やわらかい関西イントネーションの語りを読んでいると、じょじょに身体が関西に傾いていく。それが何ともいえず心地いい。
永田さんと釈さんは、コロナの時代を生きるぼくたちが直面するさまざまなテーマを語り合う。なかでも興味をひいたのは、「ナラティブ(物語)」と「エビデンス(論拠・データ)」の問題だ。科学はエビデンスベース。短歌や小説、音楽、宗教はナラティブベース。この二項対立は、論理と感覚(情緒)にも置き換えられるだろう。
未知のウイルスとの遭遇で、すべてのひとは対処の仕方に迷い、悩んでいる。釈さんは、「現代人にはナラティブが必要と言い続けてきたが、むしろコロナ禍で必要なのはエビデンス。変なナラティブに引っ張られ、判断を誤る人が出てくるのではないか」と危惧する。また、永田さんは「生命は閉じつつ開いている」とも語る。ふたりに共通するのは、相矛盾するものを視野におさめつつ、自分の頭で冷静に考えていくこと、自己を相対化することの大切さを述べていることだ。
かたちだけは勇ましい言説や軍歌に踊らされて戦争に突き進んだ愚を、この限界状況で繰り返さないためには、「鬼太郎のお父さん=目玉オヤジ」のような己を客観視する視線がたいせつだとつくづく思う。