松井今朝子(作家)
12月×日 今日ようやく「小説すばる」誌で連載開始する「愚者の階梯」初回の入稿を済ませてほっとひと息。昭和戦前の歌舞伎界を背景にしたバックステージミステリー第3弾で、今回はラストエンペラー溥儀の来日と同時期に起きた天皇機関説問題を事件発端のモチーフとした。
そのため機関説の美濃部博士が反知性的な極右議員に扇動された民意によって政府の弾圧に遭う一部始終を当時の新聞で詳しく知ったのが今年の春。政府を動かしたのが世間のムードだったのに恐怖を感じた。そこに来て執筆を開始した直後には例の学術会議の問題が起き、博士が現代に再びクローズアップされた偶然にはどきっとしたものだ。
12月×日 連載開始前は資料に目を通すので精一杯、他人様の小説をじっくり味わう余裕がない。かくして積ん読した中から真っ先にチョイスしたのは桐野夏生著「日没」(岩波書店 1800円+税)で、じっくりのつもりがつい一気読みになったのは、表現の自由を奪われた近未来ディストピアの設定によるものだ。
まず作家の表現が一般市民感覚に反するという理由で排撃される点に今どきのリアリティーがあって、ラストは無惨な人間の姿を相変わらず迫真の筆致で描ける著者の気強さに脱帽の一書だった。
12月×日 ベッドでも車内でも浴槽でも何か目を通す生活をしているが、浴槽では濡らしても惜しくない新刊情報誌を読むことが多い。それで見つけた掘出し物がカナダのM・アトウッド著「獄中シェイクスピア劇団」(集英社 2700円+税)。芸術監督の地位を逐われた演出家の重鎮がシェイクスピア劇を上演しながら復讐劇を果たす設定で、原作パロディー満載のマニアックな小説だが、登場人物の多くが獄中のアウトサイダーでお偉方をやっつける話だから非常に痛快だ。世界に共通するバックステージ物の面白さがあるだけでなく、軽やかでスタイリッシュな鴻巣友季子の翻訳が魅力的で原作に疎かった私を大いに笑わせてくれた。
理不尽なコロナ禍を乗り切って、明るい新年を迎えるには格好の1冊といえるかもしれない。