「歪められた江戸時代」古川愛哲氏
人情と勧善懲悪。テンポよく進むストーリーに、分かりやすいクライマックスのテレビ時代劇。おうち時間に、テレビの時代劇を見る人も多いのではないだろうか。しかし、著者は「時代劇は嘘八百」だという。
「江戸の歴史を忠実に描けと、やぼなことを申し上げる気はありませんが、ほとんどがフィクションです。例えば、いろんな時代劇に当たり前のように登場する浪人は、大手を振って町を歩ける存在ではなかったんです。追い払いの対象で、特に江戸では牢に収容され、佐渡鉱山の人足にされたんです。時代劇に描かれる江戸と、歴史的な現実の江戸にはずいぶん落差がありますよ」
著者はTBSの番組で雑学ネタなどを担当する放送作家だった20代のとき、東西の歴史や民俗学に興味を持ったのをきっかけに、雑学を極めた。本書は、既刊のベストセラーの自著「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」「雑学のすすめ」などのエッセンスに、新しく仕入れた事項も織り込み、一般には知られていない江戸時代の本当の姿をつづったものだ。
「江戸時代に『梅雨』や『汁』をかけたであろう『つゆ稼ぎ』という言葉がありました。裏長屋に住む、魚や野菜を天秤棒で担いで売る棒手振らは、梅雨や秋の長雨でもやってくると、たちまち収入が途絶えるため、妻が夜に男の袖を引いて家計を支えたんですね。それが『つゆ稼ぎ』です。微禄の御家人などの妻も、生活苦からつゆ稼ぎに出たので、幕末の江戸は売春婦であふれていたんです」
それが証拠に、幕末、在日公使館に勤務した書記官が、来日したドイツ人考古学者・シュリーマンに、「江戸の娼婦は10万人」と語っているという。時代を遡ると8代将軍徳川吉宗の享保年間まで、江戸の人口の男女比は男性3人に女性1人の「女不足」だったから、つゆ稼ぎがまるで内職のように成立する素地がその頃から十分にあったわけだ。
そんななまめかしい話題から一転、本書は江戸の「匂い」にも言及している。
「100万人都市だった江戸の人々の排泄物は、1人1日8合(約1・4リットル)として年間約292万石(約5億1100万リットル)にもなりました。江戸市中に、『肥、取ろう。肥、取ろう』と下肥を買い求めようと歩くくみ取りの行商が大勢いたんですね。天秤の両端に糞尿を入れた桶を揺らせて歩く日常の光景など、時代劇に出てこないですけどね。葛西や練馬、川崎あたりの農村からやって来て、持ち帰って農家に売り、畑の肥料にしました」
江戸後期には、糞の相場が立ち、幕府、大名屋敷の糞尿が「特上」、街頭の便所の糞尿が「上等」、一般町屋の糞尿を「中等」などと、身分制度さながらに区分された。食べているものにより、下肥としての効き目が違ったからだそうだ。
さらに面白いのは江戸時代のブラック部分だ。
「江戸の華といわれるほど火事が多かったのは有名ですが、不景気になるとなぜか火事が増えているんですね。町ごとに鳶を雇って『町火消』のいろは組が組織されていましたが、その火消したちが不景気になると本職の普請仕事を増やすために放火したといわれてきました。ところが、そう単純じゃなかった。幕府自身が経済発展のために町奉行に命じ、火消しの親分を使って火事を起こさせていたようなんです。10万人以上の死者を出した明暦の大火では、火元の寺がとがめられるどころか、老中から毎年付け届けされてます。新たに都市計画をするために火事を起こしたのでしょう」
本当? と思う向きもあろうが、著者が莫大な文献、史料に当たり、裏取りをした事項ばかり。事実は時代劇より「奇」なのである。本書を読むと、江戸の景色が変わって見えること必至だ。
(エムディエヌコーポレーション 891円+税)
▽ふるかわ・あいてつ 1949年、神奈川県生まれ。日大芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、「やじうま大百科」で雑学家に。「九代将軍は女だった!」「教科書には載らない日本史の秘密」など著書多数。