「さまよえる脳髄」逢坂剛著
ミステリーにおいてよく扱われるテーマのひとつに刑法第39条がある。①心神喪失者の行為は、罰しない。②心神耗弱者の行為は、その刑を減刑する――。精神障害者の刑事責任を減免する条項で、この適用の可否を巡ってはさまざまな議論を呼んでいる。精神科医を主人公とする本書でも、この問題が扱われている。
【あらすじ】プロ野球球団チェリーズのエース追分知之は、完全試合を目前に味方のエラーによって夢が破られ、あまりのショックにその場にくずおれてしまう。リリーフカーに乗ってリリーフ投手がマウンドに向かっていると、追分は突如リリーフカーに向けて走り出し、運転していたマスコットガールの島村橙子に襲いかかり首を絞め始めた。周囲の制止によって橙子は一命を取り留めたが、追分は暴行傷害の現行犯で逮捕された。
追分の精神鑑定を行うのは精神科医の南川藍子。藍子は追分が亡くなった母親への強い愛憎があり、その鬱積した気持ちが当時付き合っていた橙子への憎しみと重なって噴出、事件当時追分は心神喪失状態にあったと鑑定し、追分は無罪となった。しかし、追分はその後も殺人を繰り返す。追分の心の奥底には藍子が見落としていたものがあったのだ……。
【読みどころ】この事件と同時並行的に、犯人とのもみ合いの際にビリヤードの球で頭部を強打されボール状のものに恐怖を覚える警察官、制服姿の女性に執着する連続殺人犯という精神に傷を負った2人の男と藍子の関係が絡まっていく。加えて、マッドサイエンティスト風の脳神経外科医、さらには藍子自身の精神の内部にも、深くメスが入れられる。むずかしいテーマを手際よくさばいていく著者の手技は、名外科医のようである。 <石>
(集英社 770円)