「聖子 新宿の文壇BAR『風紋』の女主人」森まゆみ著
新宿3丁目、花園神社の近くに、「風紋」というバーがあった。1961年に開店し、2018年に閉じるまでの約60年間、夜な夜な人が集った。檀一雄、井伏鱒二、色川武大、埴谷雄高、中上健次、浦山桐郎、大島渚、勅使河原宏……。そうそうたる面々は、枚挙にいとまがない。
客たちは大いに飲み、語り、酔っぱらい、喧嘩した。どんな人もおおらかに受け入れ、カウンターの中から見守っていたのは店の女主人、林聖子。時代の生き証人である。「誰かがこの人の話を書き留めておく必要がある」と思った著者は、四半世紀かけて聖子と周りの人々から話を聞き、酒場から立ち上る濃厚な気配までも記録にとどめた。
聖子は昭和3年、画家の林倭衛と、その弟子・富子の間に生まれた。倭衛は自由奔放なアナキストで、大杉栄や辻潤と親交があった。富子は新宿のカフェで働き、客だった太宰治、萩原朔太郎らと知り合う。太宰は戦後間もなく、聖子をモデルにした作品「メリイクリスマス」を発表。幼い頃から、聖子の周りには多彩な人たちがいた。
戦中に父を失った聖子は、自立のため出版社に勤め、その後、演劇の世界へ。しかし生活は苦しく、同棲していた恋人のため銀座のバーで働くようになる。才気ある恋人は、人生これからという時に酔って電車にはねられ、短い生涯を閉じた。太宰の入水心中から3年半後のことだった。
1961年、風紋を開店。食べるためには働かなくてはならないが、人に使われるのは嫌だった。4坪ほどの小さな店からスタートを切った。
その後、結婚、長男出産、離婚を経験。シングルマザーは奮闘し、店はだんだん大きくなった。
聖子ママのいる居心地のいいバーで、時代を動かす大酒飲みたちが談論風発。風紋には昭和の酒場文化が確かにあった。
(亜紀書房 1980円)