山上たつひこ(漫画家)
7月×日 「ダダ」運動の創始者フーゴ・バルの日記「時代からの逃走」(みすず書房 現在は絶版)を何十年ぶりかで読む。言葉と像の変革運動をつづった書物に日本人の姿がちらりと見える。
1914年ミュンヘン、日本の「武家物語」を翻訳していたゼーレンカ夫人の邸宅でバルが紹介された「気さくなアジア人」たち。彼等はバルに日本の「伝統芝居の音楽」を吹き込んだレコードを取り寄せようと申し出る。1916年2月5日。スイスのチューリヒでダダ運動は始まった。若い芸術家と文学者で超満員の会場に日本人の姿があった。バルはこう記している。
「──夕方の6時頃、オリエント風な顔立の小男4人組が、小脇に画帖や絵をかかえて姿を現し、控え目な態度で何度もお辞儀をした。──」
日本人と明記していないが前後の脈絡からそれとわかる。この日本人は誰だろう。第1次世界大戦とロシア革命前夜。バルの言葉を借りれば「破壊的で、価値低下の、破廉恥な時代」に日本から画帖を抱えてチューリッヒの《新しい芸術の夕べ》に出かけて行った彼等は何者なのか。
7月×日 山下裕二著「商業美術家の逆襲」(NHK出版 1210円)。「時代からの逃走」を読み直したのはこの本がきっかけ。近・現代の日本美術、特に絵画はぼくの中では不毛の世界だった。高橋由一の「鮭」も浅井忠の「収穫」も黒田清輝の「湖畔」も、ぼくには近代日本美術のこぼした涙の痕跡にしか見えない。6世紀の仏教美術伝来からペリーの浦賀来航まで培った絵筆の豊饒を放棄してどうしようというのか。少しは信念というものを持ってくれよ。だって高橋由一が油彩で豆腐や鮭を描いてから39年後に今度は「ダダ」だろう。でも、「商業美術家の逆襲」を読んで近代日本美術を見下す気分が消えました。日本画壇の権威からはずれた場所に日本絵画の黄金郷があった。
「商業美術家たちを『再評価』するだけでなく、むしろ彼等を本流として明治以降の美術史を再考してみたい」という著者の言葉は漫画家であるぼくにとっても心に染みるものでした。