早見和真(作家)
7月×日 2008年に東京都新宿区で小説家としてデビューして、地方を転々としたあと、この春、およそ13年ぶりに東京に戻って来た。
やれ「水がまずい」だの「空気が汚い」だのと言うつもりはないが、久しぶりに東京に暮らしてみてつらいと感じることが1つある。喫煙所の数が13年前と比べて劇的に減ってしまったことである。
駅構内も含め、当時の東京にはまだ吸えるスペースが残されていた。少なくとも、電車を降りたらここで吸おうと決めていたポイントがそれぞれの街にあったのだが、そういった場所はことごとく景色を変えていた。
タバコを悪とする社会的な風潮に異論があるわけではない。嫌煙家から見れば僕はきっと裁かれるべき巨悪であるのだろうし、やたらめったら喫煙所を作ってほしいと懇願するつもりもない。しかし……である。
それを差し引いたとしても、いくらなんでも世知辛すぎやしないだろうか。それに加え、このコロナ禍だ。
不慣れな街に足を運んで、スマホを頼りに遠い喫煙所に辿り着いても、そこで目に入るのは「感染予防として一時的に閉鎖しています」の無慈悲な案内。こんな経験を東京に戻って来てからのわずか数ヶ月の間に立て続けにしている。
某出版社などはコロナを理由に、5つあった喫煙室のうち3つを閉鎖してしまった。こうなると僕にはもう意味すらわからない。当然、その2つはいつ行っても満員御礼だ。5つの喫煙室を10個にするのがコロナ対策だと思うのだが……。
これはもう好感度が高く、かつ影響力の大きな人に「おかしい!」と声を上げてもらわなければならない。そんなことを思いながらジェフ・フレッチャー著「SHO-TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男」(徳間書店 1980円)を読み終えた。非の打ちどころのない、スーパースターの物語だ。
もちろんリアリティーに乏しい話だし、そもそも大谷選手にそんなことを背負わせる義理はない。
ならまだ自分が超売れっ子になる方が手っ取り早いか……と、途方に暮れた7月の夜だった。