「嫌いなら呼ぶなよ」綿矢りさ著/河出書房新社
綿矢りさ氏の小説は、普通の人間の中に潜んでいる悪を見事に描き出している。本書には「眼帯のミニーマウス」「神田夕」「嫌いなら呼ぶなよ」「老は害で若も輩」の4作品が収録されている。コロナ禍で自粛生活が続く中で心の闇が深くなったというのが全作品の背景にある。
抜群に面白いのが、不倫が露見したときの男のうろたえる姿を描いた「嫌いなら呼ぶなよ」だ。霜月一誠は妻の楓と共に森内家の新築祝いのホームパーティーに招待される。森内萌華は楓の高校時代からの親友だ。他にもう一組の家族が招かれている。
ところが新築祝いのホームパーティーというのは口実で、一誠以外の全員がこの場で一誠の不倫について糾弾会を行うことを決めていたのだ。一誠はひたすら頭を低くして、嵐が去るのを待とうとしたが、探偵社により撮られた不倫現場の写真を見せられて万事休すという状態になる。そして弁護士が作成した不倫に関する自らの非を認める文書への署名を強要される。そのとき一誠は心の中でこんなことを考えた。
<昼間の裏で繋がりたい、現実の世界とは一味違う歪な時間を誰かと共有したいという渇望のある人間には、会ってすぐ分かる独特の色気がある。笑顔で自己紹介している後ろの陰で、目の笑ってないミーアキャットを飼っているような。心の深部で妙なペットを飼ってるのは政略好きの性格悪いだけの奴とも同じだけど、下半身使うタイプはもっと有頂天にミーアキャットを愛でてる。ダメな愛し方で甘やかしている。/いま僕をとり囲む人たちは自分の陰でペットなんて飼ってないし、なんなら空とか雲とか、天候が頭上に浮かんでいるだけだ。勝手に感情をいじられて薄曇りや豪雨にされると、口惜しくて石を投げ始める。/たださ、君たち関係なくない?/権利があるからって、普通、寄ってたかって行使するか?/一応、暴力だろ。石でも言葉でも嫌悪でも。>
大上段で正義を振りかざす人は誰もが暴力性を帯びる。「人民裁判」で一誠の不倫を弾劾する人たちは、善人を装いながら暴力の行使を楽しんでいるのだ。 ★★★(選者・佐藤優)
(2022年7月28日脱稿)