「ルポ 誰が国語力を殺すのか」石井光太氏
「非行などの困難な問題を抱えた子どもたちを長年取材していて、彼らは言葉が足りないために生きにくくなっていることを感じていました。しかしここ数年、言葉が脆弱なのは問題を抱えた子の特殊な話ではなく、どこにでもいる普通の子にも通じる課題なのではないかと感じるようになりました」
きっかけは、著者が小学校の国語の授業見学で遭遇した光景。「ごん、お前だったのか」というセリフでお馴染みの童話「ごんぎつね」の授業中、兵十という男の母親の葬式のために近所の人たちが台所で集まって鍋で何かを煮ているというシーンを見て、子どもたちから「死んだお母さんを鍋で煮ている」などの意見が続出し仰天してしまったというのだ。
「一般的に国語力とは、『考える力』『感じる力』『想像する力』『表す力』の4つから成る能力とされていますが、私は国語力とは社会の荒波に向かってこぎ出すのに必要な『心の船』だと思っています。語彙力を燃料にして、情緒力や想像力や論理的思考力をフル回転して適切にコントロールするから大海を渡れる。しかし今の子たちにはそうした力を培う機会がない上に、さまざまな時代背景の中で国語力を壊されてきたのではないかという危機感を持ちました」
本書は、学校現場や保護者などへの取材をもとに、家庭環境や学校教育、SNSなど子どもの国語力が殺されていく実情を丁寧に追ったルポルタージュ。たとえば、ある母親が子どもに「ゲームばかりしているとお父さんに怒られるよ。まぁ、今日はいいか。勉強もしたしね」と言ったところ、子どもが激怒して母親に暴力をふるった例も紹介されている。これは、子どもが「勉強もしたしね」の語尾を「死ね」と受け取ったことが原因だったらしい。
「国語力がないと、言葉を文脈の中で理解できず、一語一語を区切って読み、単語をぶつ切りにして理解する。単なる聞き間違いではなくて『勉強、した? 死ね』になってしまう。子どもたちは親世代が子どもだった頃とは比べものにならないくらい情報量の多い時代に生きていて、反射的に言葉に反応するだけになってきているんですね。優等生でも相手が喜びそうな言葉を返すだけで、それが本心ではなかったりします。自分と同質ではない人と意見交換して自分の考えを深める機会がないんです」
■原因は大人の国力の低下
著者は、言葉を失った子どもが陥る典型的な罠として不登校、ゲーム依存、非行の3つを挙げ、後半部では学校現場や支援現場で実際に行われている子どもの国語力再生の例も紹介。では、国語力が奪われた子どもに、いま何ができるのか。
「親世代が使っている言葉に子どもは大きな影響を受けています。その意味では、実は大人の国語力が低下しているのが原因かもしれません。親の方が頻繁に『うるさい』『バカ』などの言葉を使って自分の感情を内省していない状態なら子どももそうなってしまう。子どもに『自分はこう思っているけれど、君はどう思っている?』と常に問いかけることも非常に重要だと思います。言葉を得る前のヘレンケラーは深い闇の中に取り残された気持ちでかんしゃくを起こしていました。言葉を失った子どもはこのときのヘレンケラーと重なりますね。どんなに社会が変わっても何か問題が起きた時に人生を切り開く力となるのが国語力ではないでしょうか」
(文藝春秋 1760円)
▽石井光太(いしい・こうた) 1977年生まれ。国内外の貧困、災害、事件などをテーマにした執筆活動で活躍。「物乞う仏陀」「格差と分断の社会地図 16歳からの<日本のリアル>」など著書多数。「こどもホスピスの奇跡 短い人生の『最期』をつくる」で新潮ドキュメント賞受賞。