読書の秋 人生を語るエッセー本特集 第2弾
「スマホになじんでおりません」群ようこ著
著者の弱点から生きざままで、普段は知ることのできない姿を感じ取ることができるのがエッセーの醍醐味だ。今回は、スマホに悪戦苦闘する作家の挑戦から、いじめを乗り越えたタレントの波瀾万丈な半生などを通じ、毎日の暮らしに少しの勇気をもらえるエッセー5冊をご紹介。
◇
手にスマホを貼り付けて生まれてきたかのような若者たちを見るたび、あんなものは絶対にいらないと心に誓ってきた。そんな著者がスマホを持つきっかけとなったのは、22歳の飼い猫のためだった。
あるとき、動物病院に行くためタクシーを呼ぼうと自宅から電話をかけたが、何回かけ直してもつながらない。友人からは、今は固定電話からタクシーはほとんどつかまらなくなっていると聞かされる。そして、スマホのアプリで呼ぶのが確実だというのだ。固定電話の方が信頼度が高いはずなのに! と憤慨するものの、生活のすべてが“猫ファースト”の著者にとって、スマホがないばかりに猫に影響が出るのは非常に困る。かくして、ついに携帯ショップへ足を踏み入れるのだが、最初から“パスワード地獄”につまずき……。
携帯電話すら避けてきた人気作家の著者が、悪戦苦闘しながらスマホの使い方を覚えていく、切実だけれどクスッと笑えるエッセーだ。
(文藝春秋 1430円)
「家業とちゃぶ台」向田邦子著
「時間ですよ」など人気ドラマから選りすぐりの脚本を掲載するとともに、ドラマにまつわるエッセーも収録。
人間を語るのに、抽象ではなく具体的なものから語る方が得手だという著者。たとえば、人の生き死にを語る場合、死について論じるよりも、肉親が死んでもなお腹がすく、といった方がより悲しみを表現できるという。また、せりふの上に書いてある役名を消しても、役者が「これは自分のせりふだ」と気づくような、その人にふさわしいせりふを書きたいとも。
そんな言葉のプロでも、現実世界では言葉で失敗することも多々あるとか。あるとき、高卒の自分を卑下する友人を「東大を出たってウダツの上がらない人はたくさんいる!」と励ました。しかし、そばにいたのがまさに東大出身だがウダツの上がらない友人。父親から「お前は口に毒がある」と言われたことを思い出し、反省する。
向田邦子の世界を堪能できる一冊だ。
(河出書房新社 2057円)
「小さなひとり暮らしのものがたり」みつはしちかこ著
チッチとサリーの恋を描いた漫画「小さな恋のものがたり」。50年以上の記録的ロングセラーを生み出す著者の、日常をつづったエッセーだ。
現在81歳。子供を育て上げ、姑をみとり、12年前に夫を見送ってからはひとり暮らしの日々だ。自由を謳歌しているものの、頑張りすぎないのが著者流。メディアを通して元気はつらつなお年寄りが紹介されることが多々あるが、それを見て「自分も頑張ろう!」などとは思う必要なし。ゆっくり楽しく暮らすのがモットーだという。インターネットを使いこなすお年寄りも多いが、著者はアナログ人間。漫画を描くために調べものをする際も、インターネットでパパッと調べるのではなく、歳時記を読んだり、本屋まで足を運ぶ。便利すぎる暮らしは想像力が働かなくなる。ひとり暮らしは自由な時間がたくさんあるのだから、急がなくてもいいのだ。いくつになっても自分らしく生きることの豊かさを教えてくれる。
(興陽館 1430円)
「いま君のいる場所だけが、世界のすべてじゃない」副島淳著
アフリカ系アメリカ人の父と、日本人の母を持つ著者。タレントとして活動し、人気番組のリポーターも務めている。あかるいキャラクターが持ち味だが、その人生は波瀾万丈だった。
大田区の蒲田で生まれ、8畳のアパートで母と祖母と暮らしていた。婚外子だったこともあり、父親の顔は知らない。貧しい暮らしだったため、オモチャは持っていなかった。しかし友達と話を合わせるため、嘘で切り抜けるテクニックが身についていたそうだ。
小学校4年生の頃、浦安市に引っ越しをした。友達ができやすいだろうと考えて、ヴェルディ川崎の缶バッジをキャップにつけて登校した。しかし、そのキャップはサンフレッチェ広島のもの。ただでさえ目立つルックスと相まって、クラスメートからは“なんかこいつ、違う”と認定されてしまう。
いじめや差別についても赤裸々に語られるエッセー。自分らしさを考えるきっかけも与えてくれる。
(潮出版社 1650円)
「見えない人の『ちょっと世間話』」水谷昌史著
乳児期に受けた天然痘の予防接種の副反応で失明したという著者は、東京ヘレン・ケラー協会の月刊誌「点字ジャーナル」の編集長を務めた経歴を持つ。本書は、80歳になった現在も大阪のミニコミ紙「お好み書き」に掲載しているエッセーの書籍化。目の見えない人が“見た”社会が切り取られている。
「害」という字を避けた「障がい」という表現があるが、著者は違和感があるという。「害」がダメなら「障」だって文字通り差し障りがあるマイナスのイメージ。いっそ全部ひらがなにするか、「マイノリティー」を真似て、和製英語で「ハンディー」とでもするか。さしずめ自分のようなダンディーな障害者は「ハンディーダンディー」かと笑う。
文字を変えたところでハンディがなくなるわけでも、世の中の見方が好転するわけでもない。たとえマイナスのイメージがあっても、その言葉や文字に込められた意味を大切にしたいと著者。
(新評論 1980円)