「秀吉を討て」松尾千歳著
近年、東洋史の研究者によって、秀吉の朝鮮出兵に関する中国と朝鮮側の史料が次々と見いだされ、新たな事実が明らかになりつつあるという。そのひとつが、朝鮮出兵のさなか、薩摩藩の島津氏と明が連絡を取り合い、秀吉を倒す計画が進められ、これに家康が関与していた可能性が高いことが分かったというのだ。
事実であれば、文禄の役ではめぼしい活躍がなかった島津勢が、慶長の役では縦横無尽の大活躍ができたことの説明がつく。さらに西軍として参戦した関ケ原の合戦での敗北後の凄まじい撤退ぶり、そして戦後には他の西軍の武将に厳しい処分を下されたのとは対照的に所領を安堵され、その後も実質的加増や徳川宗家以外は許されない諱(いみな)の「家」の字を島津忠恒に与え家久に改名させるなど、家康の異常な厚遇ぶりの理由も分かるという。
新史料をもとに、朝鮮出兵時の島津の動き、そして徳川との関係を見直し、戦国時代の歴史を塗り替えるスクープ考証。
(新潮社 858円)