「徳川家康合戦録」渡邊大門編
家康は、三方ケ原で敗北を喫した際に恐怖のあまりに脱糞したとか、大坂夏の陣では真田信繁の軍勢に敗れ、ほうほうの体で逃げたなどといわれるが、いずれも根拠のない逸話だという。こうした逸話によって武将としての家康には「戦下手」というネガティブなイメージがつきまとっている。
しかし、現実の家康は決して臆病者でも戦下手でもなかったという。
初陣の寺部城攻め(1558年)から半世紀以上も戦い続けた家康だが、そのほとんどは信長や秀吉の天下取りの戦いに動員されたもので、主体的に戦った合戦は、関ケ原の合戦(1600年)と大坂の陣(1614.15年)の2つにすぎない。
通説と異なり、前者で家康が小早川秀秋の寝返りを促すために松尾山への一斉射撃を命じたのはフィクションで、後者では家康には豊臣家を滅ぼす気はなかったという。
こうした新説を検証しながら、出陣した11の合戦で家康がどのように戦ったのかを解説する歴史副読本。
(星海社 1298円)