胃袋も心も満たしてくれる食の本特集
「キッチン・セラピー」宇野碧著
「空腹は最高の調味料である」という格言がある。場合によっては「空腹」ではなく、「愛情」や「思い出」が入ることもあるかもしれない。さまざまな「食」の裏側にある情景をのぞいてみよう。
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「キッチン・セラピー」宇野碧著
遺伝子工学の研究室に勤務する北原巧己は、取り返しのつかないミスをして研究室に行けなくなってしまった。5日前、小さな雑貨店で見つけた「くすりを一緒に作るキッチン 町田診療所 町田モネ」と書かれたカードを頼りに、山の中にある診療所を訪ねる。町田に、とりあえずタマネギを炒めるように言われて、巧己はとまどう。町田は「あなたはカレーを作る必要があるんです」と言い、「これがくすりです」とタマネギを指さした。だが、「くすり」は自分でつくらなければならない。事前に「家にある食材を、ひとつ残らず持ってきてください」と言われて、巧己はチューブ入りのわさびやら「雪見だいふく」やらを持ってきたのだが、タマネギを炒め終わると、町田はスパイスと巧己が持ってきた食材を全部投入した!
自分を見失っていた研究者が、不思議なキッチンのさまざまな料理に癒やされて立ち直る、再生の物語。
(講談社 1870円)
「図書館のお夜食」原田ひ香著
「図書館のお夜食」原田ひ香著
樋口乙葉は私立の図書館に転職した。オーナーは海外在住で、誰も会ったことがない。そこは、ほかにはない貴重な本を集めた図書館で、入館料は1000円。いくつかの部屋を通って端の部屋まで乙葉を案内してくれた館員が「開けよ、ドアー」と言うと、本棚が左右に開いて奧に部屋が現れた。思わず、「うそ!」。段ボール箱が山積みになった殺風景な部屋で、2人の女性が蔵書を整理している。 午後10時を過ぎたころ、乙葉はまかないご飯に誘われた。「図書館カフェ」のその日のメニューは井上靖の「しろばんば」に出てくる、おぬいばあさんが作るライスカレーを再現したものだった。「図書館カフェ」の木下さんは、銀座の有名な喫茶店にいた人で、オーナーが指示した作品に登場する料理を再現することを条件にスカウトされたという。
ほかに、「森瑤子の缶詰料理」など、小説に出てくる料理に癒やされながら、図書館で働く新米館員の物語。
(ポプラ社 1760円)
「食いしん坊のお悩み相談」稲田俊輔著
「食いしん坊のお悩み相談」稲田俊輔著
居酒屋などの業態開発や、食に関する本を手がけている著者に、エビが苦手な人から相談が寄せられた。入院したときなどに食べるものを自由に選べなくて困るかもしれないから、苦手を克服する方法をアドバイスしてほしいと。
著者がすすめたのは、世界一ハードルの低いエビ料理「かっぱえびせん」。それをクリアしたら、居酒屋などにある「小エビのから揚げ」、ファミレスの「エビのビスク」に挑戦。最後に万札を握りしめて高級な天ぷら屋へ行けと。(「海老が苦手」)
禁酒を決断したが、今まで飲み屋的な店でしか食事をしたことがない。飲み屋で酒なしで食事をすることはできるのか。手軽でてっとり早いのは居酒屋だが、「いい店」ほど酒にこだわりがあり、酒抜きは気が引ける。だったら駅ビルのレストラン街などにある店がオススメ。「街場の名店」より割高でも、酒代が浮いた分、無駄遣いしてみては?(「お酒をやめました」)
ささいだが、意外に「あるある」的な「食」に関する悩みに、実践的な対応を教えてくれる頼りになる一冊。
(リトルモア 1760円)
「母の味、だいたい伝授」阿川佐和子著
「母の味、だいたい伝授」阿川佐和子著
阿川の父は晩年、飲酒も食べものの持ち込みもOKの高齢者病院で生活していた。ある日、母に「おまえの作るちらし寿司が食べたいよ」と言った。母は「ちらし寿司なら東急に売っていますよ」と答えた。阿川はひそかにガッツポーズ! それは六十数年、父の圧制に耐えてきた母の抵抗だった。
父は時折ファッションデザイナーの芦田淳氏の家に麻雀をしに行っていたが、夫人が振る舞ってくれる「芦田家伝統のまぜ寿司」がおいしかったらしい。「うまい! お代わり」と皿を差し出したという。阿川は芦田夫人にレシピを教わり、とびきり上等な鯛の切り身で「でんぶ」を作り、まぜ寿司にのせて家人に食べさせたが、「うまい! お代わり」の声は……。(「ウチ寿司」)
昭和30年代、バナナはお洒落で高価な果物だった。阿川の兄は父の知人の家に行ったとき、房になったバナナを見て、「あ、バナナがお手々みたい!」と言った。当時、バナナは1本買いしかできなかったのだ。(「お手元バナナ」)
食にまつわる思い出をつづったエッセー。
(新潮社 1540円)