<第5回>降旗監督が「もう一度」といった最初で最後のシーンがある
高倉健は降旗監督と20本の仕事をしている。彼がもっとも敬愛し、かつ信頼した同志といえる。私自身、「あなたへ」の撮影ロケを見学に行ったが、そこで、高倉、降旗の2人が撮影シーンについて、やりとりする場面を見た。その日、外部の人間で撮影所にいたのは私と編集者の2人だけだった。緊張感が張りつめていて、「この場で携帯電話を鳴らしたら、確実に殺されるな」と感じたものだ。私語する者などひとりもいない。降旗監督が「よーい、スタート」と言った途端、全員、呼吸を止め、高倉健の演技を見守った。
通常ならば、テスト1回、本番1回が高倉健の出演シーンである。ところが、その時はなぜか降旗監督がOKと言わずに、3度も同じシーンを撮った。高倉さんは「ふむ」と不審そうな顔をしたが、にっこり笑って、「さあ、やろう」と同じ演技を繰り返した。
■セリフ回しよりも「気」の強さ
私は「鉄道員(ぽっぽや)」からすべての映画現場を見ている。降旗監督が高倉さんに「もう一度、お願いします」と言ったのは、その時が最初で最後だった。