ノルディック複合団体「金」三ケ田礼一さん 今は岩手県職員に
「励みになったのが札幌五輪の金メダリスト、笠谷幸生さんとの出会いです。小学校5年生の時、盛岡であった笠谷さんが参加された体を動かすプログラムに参加し、そこで“坊主、ずいぶん身が軽いな”ってほめられた。それでもしかしたら、ボクでも……という気になりました」
「もしかしたら」は92年のアルベール五輪で実現し、複合団体で金メダルを獲得。くしくも、冬季五輪の金は笠谷以来だった。
「その晩、宿舎で祝勝会があり、外国人選手みたいにシャンパンシャワーで喜びを爆発させたんです。日本の報道陣からは、これまでにないキャラだ、ってビックリされました。私たち3人はオリンピックでシャンパンシャワーをやった初めての日本人ですね、ハハハ」
帰国後はどこに行っても大観衆に迎えられ、最終の東北新幹線で凱旋帰郷した夜は、23時過ぎにもかかわらず、数千人が盛岡駅に出迎えたそうだ。
「競技会場のギャラリーもドンと増えました。それまで複合はマイナー競技だったから、観客は数えるほど。ところが、帰国後は若い女の子が100人単位で大挙来場して、ワーワーキャーキャーと騒いでる。どこかにアイドル歌手が来てるんだと思ったら、ワタシたち目当てと聞かされ、仰天したのを覚えてます。ファンレターはそのシーズンだけで段ボール3箱になりましたよ」
2年後のリレハンメル五輪では日本選手団の旗手を務めた。
30歳で結婚。高2の男の子と中3の女の子がいる。
「長男も複合をやってて、県の高校代表です」