国会前でディラン フォークシンガー中川五郎は今も反戦歌を
中川さんは大阪出身。府立寝屋川高校2年の時に参加したベトナム反戦集会で高石友也の歌に衝撃を受け、フォークシンガーを目指し、同年、高石友也リサイタルでデビュー。中川さん作詞で高石が歌った「受験生ブルース」は大ヒットした。また、アメリカのフォーク歌手、ピート・シーガーの曲を訳詞した「腰まで泥まみれ」はベトナム反戦歌として中川さんの代表曲に。
しかし、70年安保反対運動が下火になると反戦フォークも尻すぼみになり、中川さんが歌う機会も減った。
「70年代前半から拓郎、陽水など、いわゆるニューミュージックの時代が始まり、次が私生活を歌った四畳半フォークですから。社会へのメッセージを込めたボクらの出番はなくなったわけです。時代に合わせて歌を変えるなんて器用なマネはできませんでしたね」
70年、編集者として携わった雑誌「季刊フォークリポート」に寄せた小説「ふたりのラブジュース」がわいせつ罪に問われ、80年に有罪が確定するまで法廷闘争を続けた。
「裁判後はフリー編集者に音楽ライター、海外の作家の翻訳でどうにか食べてた。糊口をしのぐ、ってやつです、ハハハ」