小倉智昭「とくダネ」終了はリストラ…五輪はリポーターか
スタッフあってこその番組という信条からの大盤振る舞いなのだろうが、かつては「バンス(前借り)の小倉」と呼ばれていた時代もあったという。29歳でフリーになったものの、最初のころは仕事がなく、給料をもらうと2日後にはスッカラカン。「税金なんか当たり前、養育費も公共料金の支払いも滞納が続いた」「電気、ガス、水道全て止まったこともあった」というのは、講演会でのお得意のネタ。持病の糖尿病もそれに続き、午前3時に起きて、5時に自宅を出るまでに血糖値の計測やインスリン注射が日課だったそうで、「友達だと思って付き合ってますよ」と前向きな発言をして観客から拍手をもらう。酒もたばこもやめてからは「ゴルフとコーヒー」が人生の楽しみと言い、中高年には多趣味な人生を勧めるという。
■「五輪を花道」はかなわず
「オリンピックにこだわりがあり、東京大会を最後に身を引くプランを練っていたそうですが延期でかなわず。『とくダネ!』は終了しますけど、報道パスをもらって、特番でリポートしたいとフジに掛け合ったともいわれています」(前出の芸能デスク)
「五輪を花道に勇退」の道はなくなったが、最高の時代にテレビマン人生を歩んだ小倉。最後はリストラ同然とはいえ、胸もお腹もいっぱいだろう。