沢村忠の華々しい経歴に女性ファンも熱狂、ついに山口洋子の作詞で歌手デビュー
《四十一年春のことだった。日大の芸術科を卒業ま近の沢村は、夢で胸をいっぱいにふくらませていた。俳優への夢であった。在学中すでに大映と契約をし、テレビドラマなどに出演していた沢村は、いよいよこれから本格的にタレントへの道を踏み出そうとしていた。そんな矢先に友人がある男と会わないかと話を持ちかけてきた。ボクシング界の名門、野口ジムの御曹子野口修である》
「週刊平凡」(1969年1月30日号)では「若い女性をシビレさす 沢村忠の肉体の秘密」というやや扇情的なタイトルの特集を組んでいる。
《日大芸術学部を卒業し、いちじは芸能界入りした沢村だが、映画でもテレビでも端役ばかり。このタレント生活のあい間に先祖代々白羽家に伝承されてきた唐手(空手と区別されている)の剛柔流のワザをみがいてきた。(略)彼の趣味が変わっている。シナリオの執筆だ。将来は「自作のシナリオ、主演、演出で、テレビの制作をやる」のが夢。キック・ボクシングは、それまでの資金かせぎというところか……》
「大学入学と同時に俳優を辞めた」「大学入学と同時に俳優活動を本格的にスタートさせた」「卒業してから芸能界入りした」とそれぞれ記述と解釈は異なるが、いずれも俳優だった前歴を殊更大きく取り上げている。初期の沢村人気の要因として「元俳優」という華々しい過去も加味されていたと見ていいのかもしれない。