流血デスマッチレスラーだったターザン後藤さん 53歳で再婚→妻の実家のラーメン店で修業中
ターザン後藤さん(元力士、元プロレスラー/58歳)
大相撲初場所の最中だが、角界から転身したプロレスラーは多い。力道山はじめ、天龍源一郎、曙太郎、田上明ら枚挙にいとまがない。本日登場のターザン後藤さんもそのひとり。全日本プロレスでデビューし、移籍したFMWでは大仁田厚を相手に「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」で大暴れした。さて、今どうしているのか?
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「野菜炒めに太楼ラーメンね。少々お待ちください」
東京スカイツリーのお膝元、都内墨田区押上。押上駅から歩いて3分ほどの町中華「太楼ラーメン」へ行くと、ターザン後藤さんが厨房でオーダーを確認しながら中華鍋を振っていた。
「5年前の12月17日に、ここの店長と結婚しましてね。その際、義理のお母さんに『店のほうも、しっかり頼むね』って。そう言われたら手伝わないワケにはいかないですよ」
白髪交じりの長い髪を後ろで縛り、口元はトレードマークのヒゲだらけ。額に刻まれたいく筋もの深い傷痕がデスマッチレスラーの勲章だ。
「お互い再婚。妻の連れ子で、31歳と27歳の娘の父親になりました」
そもそも、どこで知り合ったのか?
「最初はお客だったんですよ。『ワンタンがおいしい』って評判だったから、9年前の夏に1人でブラッと。そうしたらなぜか、カウンターが空いてるのに案内されたのは奥の座敷。で、出されたのがワンタン抜きのスープ。でも感じが良くて、一目惚れってヤツですかね。ずっと通うようになったんです」
一方、3歳年下の恋女房・好江さんは後藤さんを「“反社”稼業」と早とちり。無理もない。初来店時の格好は、サングラスに甚平姿。額はギザギザ、丸太ん棒のような腕も傷だらけだから当然だろう。
好江さんが振り返る。
「とにかく顔を合わせず、早く帰ってもらおう、二度と来ないで、って。なので2回目以降も塩対応。いつだったか、レバニラ炒めを注文され、レバー抜きで出したこともありました(笑い)」
風向きが変わったのは、常連に「ターザン後藤さんだよ」と教えられてから。話してみると、誕生日が同じで小学校の同窓生。「赤い糸が見えました」(後藤さん)
大相撲出身で、米国時代にレストランで働いていただけに調理経験はある。だが「中華は難しい」と後藤さんは苦笑い。
「同じ材料と調味料、レシピで作るんだけど、義理の母や妻にはまだかなわない。5年経ってもまだ修業中です」
退団騒動の真相は「墓場まで持っていく」
静岡県島田市出身。中学卒業直後に九重部屋に入門し、1979年3月に初土俵を踏んだ。だが角界は肌に合わず8カ月ほどで廃業し、81年に全日本プロレスに入団。がむしゃらなファイトで注目を浴び、83年のプロレス大賞・新人賞を受賞した。
85年から89年まで米国遠征。そして大仁田厚のスカウトで新団体「FMW」の旗揚げに参加し、“鬼神”のニックネームでデスマッチ路線を突っ走った。
90年8月には、大仁田と史上初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを敢行。プロレス大賞・年間最高試合賞を受賞した。
「爆破の瞬間? 肉がね、バシッとはじける感じ。痛み自体、試合中はアドレナリンが出てるせいかあまりないんですが、リングを降りてから2、3日の間、やけどでジワジワと痛みが続きます。体の負担は大きいし危険。でも全日本や新日本に挟まれた中でFMWが生き残っていくには、他団体と違う目立つことしないとお客さんに来てもらえません。痛いだのつらいだのと言ってる場合じゃなかった」
そんな中、95年5月、大仁田の2回目の引退試合の対戦相手に。だが直前に退団し大騒動となった。その原因やいかに?
「んー、これまで100回を超えるくらい同じ質問されてるんだけど、ノーコメントなんだ。真相は墓場まで持っていくつもり」
新型コロナ禍のため試合は延期しているが、現在も2010年に旗揚げした「スーパーFMW」の代表であり現役レスラー。出勤前に4時間のトレーニングは欠かさない。同団体の事務所は1駅隣の曳舟駅そばのスナック「スーパーFMW 茜」にある。「太楼ラーメン」の営業は18時(日曜のみ15時)から深夜0時。閉店後は「茜」へ移動し、深夜2時(金・土曜は朝4時)まで接客をしている。(※新型コロナウイルス感染拡大等により、営業時間・定休日が記載と異なる場合があります。来店時は事前に店舗に確認してください)
(取材・文=高鍬真之)