ナイツ塙が漫才協会会長への就任半年「お笑い界の“巨人”であるヨシモトに肩を並べたい」
2023年6月、第7代漫才協会会長に就任したナイツ・塙宣之(45)。時代の荒波を越えた漫才協会の軌跡と、昭和99年の現在地を会長に聞いた。
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“浅草の顔”として地上波テレビに出演し、「師匠イジリ」芸で漫才協会の知名度向上に貢献してきた塙だが、その裏では地道な組織改革を進めていた。
「M-1グランプリで2021年にチャンピオンになった錦鯉、そしてSNSで影響力の強いオリエンタルラジオにも直接スカウトして、漫才協会に加入してもらいました。ダメもとで声をかけていたので、まさかの快諾にこっちが焦りましたよ。テレビでも売れっ子の彼らのおかげで、23年はこれまでにないくらい協会を扱ってもらえました。
一方で、もともと協会に所属している師匠や若手たちは地上波に結局呼んでもらえないのも事実。野球で例えたら、FA補強しすぎて、生え抜き選手の活躍の場を潰しちゃってるんです。大好きなジャイアンツの原監督と同じ失敗をしてしまいました(笑)」
漫才協会は、現在、101組、206人の芸人が所属しており、浅草・東洋館を本拠地に公演開催と漫才師育成を目的として活動する一般社団法人である。今では、ナイツのM-1グランプリでの躍進や、TBS系「水曜日のダウンタウン」で脚光を浴びたことで、若者を含めた幅広い世代が足を運ぶようになったが、かつては「昭和の残滓」ともいえる冬の時代があった。
「僕たちナイツは、02年に当時の事務所の社長命令で協会に所属しました。ビートたけしさんや欽ちゃんさんがいた浅草の華やかな時代はとっくに終わって、若者たちの盛り場は新宿や渋谷になっていった時代です。浅草にはまだ、ボロいボウリング場とか、寂れた風俗とか、ピンク映画館が残っていて、夜は歩くのがちょっと怖かった記憶が残っています。
寄席に5、6人しかお客さんがいないことはザラで、10人を超えたら師匠たちが『おっ、今日は“ツばなれ”だ』って喜んでたんですけど、それが嫌で嫌で。まだ、24歳ですからね。腹の内の9割は漫才協会が嫌だ、でも1割は内海桂子師匠の弟子になったら事務所で優遇されるかな、なんて打算もあって入ったんです」
「お笑いの殿堂」と呼ばれた時代もあった浅草が、数十年ぶりに笑い声で包まれるようになったのは、意外にも交通の力が大きいという。
「05年につくばエクスプレスが開通して、東洋館のすぐ近くに駅ができたんです。その影響で周辺の街がものすごくきれいになって、観光客が東洋館の方まで足を延ばすようになりました。そして、その年にちょうど浅草が舞台の落語をテーマにしたドラマ『タイガー&ドラゴン』が大ヒット。徐々に寄席が埋まるようになりました」