抜擢したカメラマンたちは村西とおるの“サンドバッグ軍団”
日比野正明は野田義治より15歳年下。1961年生まれの27歳。村西とおるのもとで助監督を務めてきた。当時、村西とおるは40歳、あらゆるものを燃やし尽くす火砕流のような時期であり、入社してきた助監督たちは半日で逃げ出した。指示通りできないと殴る蹴るは当たり前、AV撮影ではいきなり男優として起用させ、勃たないと鉄拳制裁。
山奥のロケ地から夜中、25キロ先の駅まで逃亡した助監督、都内のスタジオから「たばこを買ってきます」と言い残し運転免許証の入ったリュックを残したまま逃亡した助監督。まさにブラック企業50社が束になっても勝てないのが村西とおる率いる撮影隊だった。殴られ蹴られる助監督チームはサンドバッグ軍団と呼ばれ、日比野正明はチーフになった。
日比野青年の人生哀歌。
岐阜県の進学校を出た日比野は、家業の自転車屋を継ぐ前に会社員生活をすごそうと、内装会社に入社したがそこがブラック企業だった。入社した高卒組100人は朝から晩まで倉庫で壁紙や材木運搬を任されて3年間で7割が退社した。高卒は兵隊要員として一生扱われることに気づいた日比野は、「週刊プレイボーイ」のグラビア水着を撮れるカメラマンになろうと、面識を持ったカメラマンに弟子入りした。