インテリのヘンリー8世を暴君にしたのは「梅毒」だった?
前回まで豊臣秀吉と徳川家康の「梅毒」への接し方の違いが天下取りに影響した、という話をしてきました。今回は欧州に目を転じてみましょう。
梅毒が欧州に広まったのはコロンブスの新大陸発見の旅で乗組員が持ち帰ったのが始まり、との説が有力ですが、ハッキリしません。
ただし、その後欧州で爆発的に増えたのは間違いありません。それ以降、数多くの有名人がこの感染症で亡くなっています。その一人がイングランド史上最も残酷でスキャンダラスな王と呼ばれた「ヘンリー8世」です。6人の女性と結婚・離婚を繰り返し、二人目の妻(エリザベス1世の実母)と結婚する為に離婚を禁じたカソリックの総本山・ローマ協会から離れ、英国国教会を設立。反対する者を容赦なく処分したと言われています。
ヘンリー8世がただの女性好きなら、結婚などしなくても良かったはずです。しかし、ヘンリー8世には世継ぎがいませんでした。そのため執拗に結婚・離婚を繰り返したようです。
では、なぜヘンリー8世の妻たちは流産することが多かったのでしょうか?それはヘンリー8世が梅毒に冒されていたからといわれています。若い頃にフランスで罹患したと言われています。実際、3番目の妻はヘンリー8世が心待ちにした王子を生みますが、王子は先天性梅毒のため16歳で亡くなっています。自身も晩年は脚の腫瘍などさまざまな病に苦しんだようです。