ベルリング 飯野塁社長(1)消防車・救急車業界にひとりで飛び込んだ風雲児
代わって飯野を育てたのは父方の祖母だ。地元企業で定年まで働いた祖母は飯野にさまざまな影響を与えた。飯野は感謝の印として、祖母の名「すず」を社名に引用(すず→ベル)している。
飯野の人生に転機が訪れたのは大学2年の時だ。亡き母の影響で高校時代からビジネス志向が強く、アルバイトを3つ掛け持ちするなど「金を稼ぐこと」には熱心だった。しかし、本当にやりたいことが見つからず、もがき苦しんでいた。
■「介護・保育・消防」に絞った理由
そんな時、交換留学した先の中国・北京で目を開かされる。
「夏季五輪の後で中国の勢いはすごいものがありました。大学には世界中から留学生が集まり、おまえの国の経済はどうだ、自分は国に帰ったらすぐ起業するなど息巻いていた。負けていられないと思いましたね」
帰国して祖母から「人の役に立つことじゃないと続かない」とアドバイスされ、介護・保育・消防の3分野にターゲットを絞った。そして「パーン! と思いついた」のが消防車のハイルーフのアイデアだった。