暗殺された浜口雄幸は民間右翼と軍人の暴力の犠牲者だった
![東京駅のプラットホームで狙撃され周りの人に抱えられる浜口雄幸首相(中央・白ひげ=昭和5年11月14日)/(C)共同通信社](https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/279/619/a16d87efd9b658a655b98aa549aeb19c20201006131409613_262_262.jpg)
浜口雄幸が残した記録(「随感録」)には次のように書かれている。
「駅長室の長椅子に仰臥せしめられた自分は、始めは変を聞いて驚いて駆け付けた閣僚や、友人や医師や、家族や親戚の顔がありありと目に入った。(略)内臓出血の為であろう、次第に容態が唯ならぬ様になり、発声さへ、呼吸さ…
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