阪神ドラ4梅野隆太郎を“男手一つ”で育てた父親の奮闘
「嫁さんがベッドで『プロ野球選手になれるなら、そうしてやってください』って言ったんです。冗談っぽくですけどね。私は『わかった。心配せんでいいけん、プロ野球選手になれるよう、俺も頑張るよ』って」
啓子さんが亡くなってから、義隆さんは男手一つで2人の息子を育て、梅野がプロ野球選手になるためのサポートをしていく。
苦労は絶えなかった。義隆さんは内装業の仕事をしながら、朝と夜は台所に立った。啓子さんの家族にも支えてもらった。
「大したモノは作りきらんかったですが、ちりめんじゃこと納豆を食わしたら骨が強くなって、背が伸びないかなと思ったり(笑い)。成長に影響するかもしれないと思ったので、炭酸飲料は飲まさなかったですね」
■月10万円の出費
一方、義隆さんは啓子さんを亡くしたショックから、なかなか立ち直ることができなかったという。
「嫁さんがおらんようになってからは、何も手がつかんというか、酒を飲まないと気が紛れんというか……。子どもたちもつらかったでしょうけど、息子たちが野球で頑張っている姿を見たら、私もしょげとったらあかんなって。息子たちには本当に勇気づけられました」