阪神ドラ4梅野隆太郎を“男手一つ”で育てた父親の奮闘
お金のやりくりにも奔走した。野球をするには何かと資金がいる。梅野は福岡工大城東高で寮に入った。特待生で学費は免除されたが、寮費や遠征費等で月10万円程度が必要だった。
「個人経営の下請け会社なので、収入は時期によって変動する。今月は蓄えがないぞ、という時もありました。その時は、周りに工面してもらったりして……。迷惑もかけましたね」
梅野は常々、「プロに入って、家族や親戚に恩返ししたい」と周囲に語っていたという。高校、大学で野球漬けの毎日を送り、大学球界屈指の捕手に成長。12年前に義隆さんと啓子さんが描いた夢が今、成就した。
啓子さんの仏壇には、和田監督がドラフト当日に着用し、赤い紐のついたIDカードが供えられている。
「梅野隆太郎君 打てるキャッチャー 正捕手を目指せ!」
カードの裏には和田監督直筆のサインとメッセージが記されている。
「小さい頃からいつも、『天狗にはなるなよ』と口酸っぱく言ってきた。プロは今までと次元が違う。これでいいと満足したら先はない。これからも隆太郎が偉そうなことを言うなら、鼻をへし折ってやります(笑い)」