ヤクルト1位 杉浦稔大を育んだ十勝平野とスポーツ一家
「稔大が小学生の時、帯広のヤクルト戦で裏方をやることになった。その時、池山さん(二軍打撃コーチ)や真中さん(一軍チーフ打撃コーチ)らに稔大宛てのサインをもらいましてね。ヤクルトに指名されたのも、何かの縁かもしれません」
■母は全国3位
父が高校野球のエースなら、母・真美子さん(48)はソフトボールのエースだった。
「ソフトボール人口が少なかったですから……」
と謙遜する真美子さんだが、実力は道内屈指。中学からソフトを始め、帯広南商業高時代にはインターハイ、国体、東日本大会に出場。高校3年の83年、時の中曽根康弘首相が開会式で挨拶した群馬の「あかぎ国体」(第38回)では、スリングショット(腕を後ろに大きく振り上げ、その反動で前方に振る投法)から繰り出す威力ある球を武器に、チームの全国3位に貢献した。
「ソフトをやっていたからでしょうか。稔大が野球で悩んでいることがあったりしたら、よく相談に乗りました。好きで野球をやっていたわけだから、『楽しんでやりなさい』ということはよく話してましたね」(真美子さん)