ヤクルト1位 杉浦稔大を育んだ十勝平野とスポーツ一家
杉浦は北海道の十勝平野にある帯広市で生まれた。
冬のこの時季、氷点下20度前後になるこの町では、アイスホッケーと並んで野球が盛んだ。5人兄弟の長男である杉浦も、子どもの頃から秋冬はホッケー、春夏は野球に慣れ親しんできた。
杉浦がプロ野球選手になれたのは、家族の影響が大きい。杉浦家はスポーツ一家。地元の農協に勤めている父・幸男さん(50)は、中学から野球に打ち込んできたという。
「中学、高校と野球をやって、帯広北高時代には投手として北北海道大会に2度出場しました。当時はスピードガンはなく、ゲームセンターの計測ゲームで139キロを出したことがあります(笑い)。ただ、2度とも初戦敗退で(笑い)。対戦相手が揃って甲子園に出場しているんですから、運がなかったですよね(笑い)」
チームのエースだった幸男さん。当時、野球活動が盛んだった農協に「野球部枠」で入社した。全道大会で優勝するなど強豪チームをエースとして牽引した実力は、杉浦にも受け継がれている。
杉浦が子どもの頃、“現役”だった幸男さんは、庭で一緒にキャッチボールをしたり、プロ野球の試合が行われる帯広球場に息子を連れていったりした。