桐光松井君は我々にとっても大きな存在だった
今夏、7月6日から1週間ほど記録的な猛暑日が続いた。その前の週の練習試合で松井君はセンバツ優勝の浦和学院に18奪三振で完封勝ち。今思えば、ここがピークだったのではないか。連日気温が35度以上になり、最後の追い込みができなかったのではないか。暑かろうが、ウチのエース伊藤将司(2年)はとにかく走らせた。直前のこの時期に楽をすると、大会途中でスタミナが切れてしまうのだ。
迎えた準々決勝で私は、浅間大基(2年)を普段の3番から2番に変更した。松井君からは1番から4番までで点を取るしかない。浅間を攻撃的な2番に据えることで、犠打をしないという考え。これが奏功した。4番の高浜祐仁(2年)の同点ソロ、浅間の逆転2ランの2本塁打で3─2。よく勝ったが、松井君はやはり本調子ではなかった。
■準備していた「秘策」
実は土壇場で1点をもぎ取る「秘策」も用意していた。2死一、三塁で三塁走者が足が速い選手の時限定の作戦だ。松井君は一塁へ緩い牽制球をよく放る。ホワーンと投げるか投げないかの時、三塁走者がスタートを切る本盗だ。