浅田真央がソチ五輪フリー曲に「ラフマニノフ」を選んだ意味
愛知県名古屋市。フィギュアスケートが盛んなこの地からは浅田真央を含めて8人(延べ12人)の五輪選手が誕生している。
女子の初代表は「天才少女」と呼ばれた伊藤みどり。88年カルガリー大会5位に終わった伊藤は、89年世界選手権で優勝。90年同選手権2位。金メダルが期待されて臨んだ92年アルベールビル大会では日本中の注目を一身に集めた。
ところが、ショートプログラムでは、ジャンプミスから4位と出遅れる。フリーの演技もトリプルアクセル(3回転半ジャンプ=3A)で転倒。予定では、この3Aが失敗したら違うジャンプに切り替えるはずだった。
その数分後、コーチの山田満知子は仰天する。体力が消耗している残り1分、伊藤は再び3Aを跳んで見事着氷。五輪の女子選手としては史上初めて3Aを成功させ大逆転で銀メダルを獲得した。
この時、真央はわずか1歳半。後に伝説となる伊藤の偉業を知るはずもない。それから間もなくして、天才スケーターの活躍により名古屋は空前のスケートブームに沸く。