浅田真央がソチ五輪フリー曲に「ラフマニノフ」を選んだ意味
3歳からバレエを習っていた真央は5歳からリンクに立った。
「足首が鍛えられてバレエが上達する。そう考えて(母親の)匡子さんは真央ちゃんにフィギュアを学ばせたのです」(浅田家の知人)
当時フィギュアをやっていた子供たちは例外なく、伊藤みどりの「銀メダル演技」をビデオで繰り返し見た。3Aの大技に憧れ「私もトリプルアクセルを跳ぶんだ」というのが、子供たちの口癖になった。
真央も伊藤の演技を、それこそビデオテープが擦り切れるほど見てきた。3Aという高難度のジャンプに感動すると同時に失敗しても諦めずに3Aを跳んだチャレンジ精神に感動した。
「もしもみどりちゃんが五輪の舞台で難なく3Aを決めていたなら、真央ちゃんはこのジャンプに今ほどこだわりを持っていたかしら。名古屋で生まれたみどりちゃんのあの逆転ドラマが、真央ちゃんを3Aの虜にしたといっても過言ではないと思う」(前出の知人)
伊藤みどりがアルベールビル五輪で3Aを跳んでから22年。真央がソチで演じるフリー曲、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」は、伊藤が3Aを成功させたときと同じだ。最後の五輪に、伊藤みどりが不屈の精神で3Aに挑んだラフマニノフの代表曲を選んだのは単なる偶然ではないだろう。