ロッテドラ2京大・田中 「体操で五輪の夢」閉ざした父の一言
3052グラムで生まれた田中は、幼少期から好奇心が旺盛だった。
「私は機械には全く興味がないのですが、お父さんは英祐と同じ京大で機械工学を研究していた。英祐にはそれが遺伝したのでしょうね。とにかく小さい頃からいろいろなものの内部に興味を示していました。小学3年ごろですか。車のおもちゃを買ってあげたらすぐに分解しましてね。車を走らせる楽しみより、『なぜ車が走るのか』とか、『どの部分を改良すれば、より速く走れるか』を考えていた。びっくりしましたよ」
と昌美さんは笑う。
成長につれて田中の理系気質は強くなっていく。が、両親は「体が強い子に育って欲しい」という願いもあり、運動もさせた。それが、「器械体操」だった。
■親が子と一緒に悩み、最善策導く
4歳の頃に地元の体操クラブ(アイキスポーツ)に田中を入部させた。当初は体力維持の目的だったが、徐々に運動能力が開花した。小学4年の頃には、クラブの指導者から才能を認められ、「英祐君はオリンピックを狙えるかもしれない。私の知り合いがいる高校で本格的に練習したらどうか」と姫路商業高校での練習を勧められた。以後は、10歳にして週に1度、高校生に交じって練習した。