ロッテドラ2京大・田中 「体操で五輪の夢」閉ざした父の一言
そのたびに自宅から片道30分、車を走らせ送り迎えをした昌美さんは、「本当はそこまでやる必要はないと思いましたし、私の方が面倒くさかった。でも、本人に物凄くやる気がありましたからね」という。
ところが小学5年に上がる直前、「五輪への道」を閉ざしたのが克則さんだった。
同時期の週末には地元の子ども会で野球も始めていた。高学年になると勉強も忙しくなり、どちらかの競技に絞らなければいけなくなった。昌美さんは当時を振り返る。
「お父さんは『体操は個人競技が中心。社会に出るうえで重要なのは協調性だから、それを考えれば野球を続けなさい』と英祐に体操をやめるように言ったんです。本人はこの頃、本気で体操のオリンピック選手になる夢を持ち始めていたので、『やめたくない』と抵抗して大泣きしました。当時は可哀想だと思いましたが、今となっては選択が間違っていなかったと思います」
田中家の基本的な教育方針は、「子供には好きなことを好きなようにやらせる半面、人生を左右する選択には惜しみなく手を差し伸べる」こと。大人なら冷静な判断を下せても、人生経験が少ない子供は道を誤ることもある。子供が悩む時には、親も一緒に悩み、最善策を導き出す。そうやって両親は田中を育ててきた。