日ハム2位清水優心 両親が心血注いだ「周防大島の13年」
「優心が小さい頃は頻繁におじいちゃん(祖父・幸夫さん=78)に近くの海岸で釣りをしてもらって、メバルやハマチ、スズキ、アジなんかを釣ってもらい、おかずの足しにしていました。魚はほとんど買ったことがありません(笑い)」(寛子さん)
■週末は2泊3日で広島へ
それでも、夫婦は子供に対し、好きなことを好きなだけやらせようと心がけた。
島の子供たちが周囲の海岸での釣りに夢中になる中、優心は小学2年から始めたソフトボールにのめりこんでいった。小学5年からは島外にある岩国のチームにも所属。両親は練習のたびに島の対岸にあるグラウンドまで片道約30分、大島大橋を渡って車を走らせた。
中学に入るとさらに上を目指した清水は岩国の強豪野球チーム「岩国ボーイズ」に入部した。だが、両親は共働きに加え子育てもある。島から毎週末に行われるクラブの練習の送迎は難しくなった。そこで、チームの代表に頼み、清水を毎週末、「2泊3日」で広島市内の代表宅に預け、野球を続けさせた。
「中学2年からですが、毎週金曜日、学校が終わると、すぐに優心を車に乗せて島の対岸にある最寄り駅まで送りまして。優心は電車で約1時間半ほどかけて広島駅に向かい、駅で代表に引き取ってもらっていました。私たちはその後、日曜日の夜に再び広島駅から電車で戻ってくる優心を最寄り駅に迎えに行った。あの頃は本当に周囲の人に助けられました」と寛子さんは当時を振り返る。